ホテリアの心得
13.ホテリアの心得
思いの外、この作業はキツかった。
笹川さんは、部屋に入るなり散らかった衣類は壁にあるクリーニングルームへのシューターへドンと突っ込み、振り返りざまにはテーブル上の飲みかけのワイングラスを手に取り、もう片方の手で紙類などを拾い上げる。
飲みかけのワインは部屋に備え付けの小さな流しに返し、紙類はテーブル下のペーパーホルダーへサッと滑り込ませる。
そのままの勢いで、ベッドの掛ふとんを宙に放り、その下のシーツを掴んだかと思うとヒラリと捲し上げ、シャッ、シャッっと敷き詰めた瞬間、先ほど宙に投げた掛け布団がドサっと落ちてくる。
今度はその布団の端を掴むと2、3回バタバタとはためかせ、布団に付いたゴミやホコリを払い除ける。
そしてシーツと同じくシャッ、シャッとベッドに敷き詰める。
ここまでわずか10数秒!!
まるで手品を見せられているような気持ちになった。
「いいですか?布団はここでは各人が洗濯するのであくまで敷き直すだけにしてくださいね。」
全く呼吸も乱さず涼しげに話す。
「あ、それから、一つ注意する点が。」
右手人差し指を立ててジェスチャーする。
「な、なんでしょう?」
注意どころか同じ動作ができるかさえ疑問だがとりあえずは聞いとかないと。
「たった一つです。『全ての動きを美しく』してください。」
至極当然といった風にサラリと話す。
確かに彼の動きには一分の隙もなく完璧なまでに美しかった。
しかし、これを再現するとなるとかなり高度な訓練が必要に思えた。
「さ、次の部屋からはやってもらいましょうかね?」
「えっ!?もうですか!?」
「もうです!!」
この日は、それから一挙手一投足に至るまで扱かれる事になった。
「そろそろ10時のおやつにしますか。」
汗だくでフラフラの僕は思わず『助かったぁ』と漏らしそうになった。
いつもは狭いはずの『大』食堂の椅子に腰掛けるよう促された。
笹川さんは奥の厨房でコーヒーとお茶請けを用意してくれてるようだった。
コーヒーの香ばし香りがすでに食堂内に充満し始めていた。
猫舌の僕は必要以上にふぅ~ふぅ~とコーヒーを冷ましながらちびちびと飲む。
期待を裏切らない、いや、むしろそれ以上の美味しさだった。
コーヒーがこんなに美味しいものだと初めて知った気がした。
「ところで部屋は全部でいくつあるんですか?」
狐色に程よく焼けたバタークッキーに手を伸ばしながら尋ねた。
「日によりますよ。だってコイツを付けた人だったら簡単にいくらでも作れちゃいますから。」
そう言いながら左耳たぶを触って見せる。
「え!?そうなんですか?」
「あれ?知らないんですか?」
意外だという表情で見つめ返す。
「あなたが知ってるこの船には何部屋ありましたか?」
「確か6部屋だったかと。」
「今は?」
「数えてませんが数十はあるんじゃないかと。」
「ほらね?」
「はあ・・・でも急に増えたんですか?」
「いいえ。あなたが来る前からずっと平均でこれくらいはありましたよ。」
「え!?でも見てませんよ。」
「見てないんじゃなくて見えてなかっただけですよ。」
時折だが、彼には子供のように口をやや尖らせて話す癖がある。
どういう意味か聞き返そうとしたその時、左耳の機械が小さく唸り始めた。
次の瞬間、突然、『頭の中に』直接誰かが話しかけてきた。
「『イチゲンさん、いらっしゃ~い』『イチゲンさん、いらっしゃ~い』『イチゲンさん、いらっしゃ~い』・・・・」
ふざけているような口調で何度も話しかけてくる。
「な、なんですかこれ!?」
思わず、僕は耳元のコバエを払うような仕草をした。
「はは、珍しいお客ですね。ちょうど良い機会です。彼らを教材にちょっと実験してみますか。」
そう言うと、まだ半分以上飲みかけの熱々のコーヒーを残したまま席を立つ。